生涯独身を貫いた顕正会員の最期はこうなるのかもしれない!?

photo-1437422061949-f6efbde0a471仏法に全てを賭けた人生。その先にあるものは果たして真の幸せと呼べるものなのでしょうか?






先日、読んだ記事にこんなものがありました。

本当に悲惨な独り身の最期

田舎の総合病院で働く医師の方の投稿のようです。
記事では、独り身で亡くなる老人の最後の悲惨さを語られております。

その中でも特に目を引いたのはこの箇所、

本当の不幸な患者とは—どんな背景であれ、見舞いに来てくれる、看取ってくれる家族も友達もいない、死ぬまで独り身の高齢者だ。

20~30代での婚期を逃し、先祖から受け継いだ古民家に一人で住んで、病気になり、一人寂しく病院で最期を迎える…想像するだけで涙が溢れてくるようです。

また、こういった例もあるようです。

また別の悲惨さもある。子供や配偶者がいるものの、関係が良くないために世話をしてくれないパターン。

なんとなく、仏法反対の家族の中で信心している顕正会員が思い浮かびました。

もちろん、信心には反対しているものの親子の縁は切っても切れないものです。若い時はそれでもいいかもしれませんが、高齢になり、体の自由も効かなくなった時に自分を助けてくれるのは家族以外ありません。

「正しい顕正会で信心を貫けば成仏が叶う」「人生ぶん投げて浅井先生についていく」と決意している現役顕正会員の方、今一度立ち止まり考えてみてください。

顕正会は日蓮大聖人とは関係のない新興宗教団体です。

浅井先生は仏様ではありません。

顕正会員はいざという時にあなたを助けてくれる保証はありません。




本当に大切にしなければいけない「家族」を、顕正会の先輩から言われた「折伏成果」の犠牲にしないようにしてくださいね。

ではまた