顕正会時代の伏線とエセ功徳体験

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今回の記事は約一週間ぶりの寺院参詣と不思議な体験(前編)←コチラの記事の続きと考察になっております。

あの頃からの因縁が

菩提寺での唱題行を終えると一人の婦人が声を掛けてきました。
婦人「貴方はもしかしてタカチョー(の本名)さん?」
タカチョー「はい、そうですが?」
婦人「昔、顕正会の会館近くで折伏したんですが覚えてらっしゃいますか?」
聞けばその方は講中の婦人部長さんだそうで、会話の流れで活動手帳のようなものを見せてくれました。そこには「平成19年」という文字と自分のフルネーム、さらに甥っ子の名前までありました。
話を聞いてみると、確かに覚えがあります。
平成19年のとある日曜日、その婦人部長さんと講頭さんと何人かで顕正会の会館裏(駐車場まで一直線なので会員がよく通る)で折伏していたそうで、その時に当時高校生だった甥っ子がその方から折伏を受けたそうです。
甥っ子は幼少の時からの悩みだったアトピーが改善した体験を語ると「それで治ったっていうんだからしょうがないか」と思って帰ろうと思ったそうです(えっ!
折角なので連絡先を交換しようと言うので、甥っ子は所属組織の長である私の連絡先を教えたそうです。
その後、甥っ子から一件を聞き、法華講からの折伏と聞いて内心ビビっておりましたが(笑)
健気に功徳を言い切った甥っ子にその時は何か誇らしさのようなものを感じておりました。勘違いでしたけど

顕正会員の行き詰まる姿

ちなみにその後の甥っ子はというと、アトピーの症状が一時的に改善するも、未だに完治には至らず薬に頼っており、家庭不和で半分家出同然で県外に就職してしまいました。(;´д`)トホホ…

顕正会では御書を学びません。全て浅井会長の講演や会長オリジナルに曲解した御金言の一部等が教学の骨子になっております。
なので論に詰まると、「顕正会には功徳がある」「功徳があるから正しい」と言いだすんですね。
折伏理論書の294ページには

「ただし現証といっても、臨終の証拠をのぞいて、現世の生活現証には種々の要素がくわわるので、表面的、あるいは一時的な見方をしてはならない」

とあります。
現証のみにとらわれるのではなくキチンと道理・文証の裏付けのある信仰じゃないと意味がありません。
上記の甥っ子の体験もそうですが、顕正会の体験発表は一時的に良くなっているように見えても最終的には生活はボロボロになり活動に疲れきってしまっているのが現状です。
自分の身の回りでも、借金苦で悩んで顕正会に入信したものの、結局会員からお金をせびり、金銭トラブルを巻き起こす人。
長年信心しているのにバイト生活に明け暮れ、中年になって再就職も難しくなって八方塞がりになっている人。
自営業で自在を得たと喜んでいたのも束の間、いつの間にか一切連絡が取れなくなり音信不通になる人。
組織内でかなりの役職にあるにも関わらず、実生活は家庭不和、自分の子供には暴力を振るいつつ「これが宿命だからしょうがない」とおよそ信心の欠片もない幹部。
その他にも挙げればキリがない程です。
顕正会内にいるとこういう事も冷静に見る事も出来ず、思考停止してしまうんですね;;
ちなみに、宗門の先輩は悉く生活の悩みを乗り越え、真に功徳に溢れた有意義な生活を送っておりますよ。

正しい信仰に早く目覚める事を切に祈っております!

ではまた