私が顕正会に入信当初からお世話になっていた上長についてのお話です。
上長との出会い
入信から一年ほど経った頃、突然男子部に移籍になりました。
その時の上長は一周り以上年上で、学生だった私からはとても大人なイメージでした。顕正会=正義のヒーローのように思い込んでいた当時の心境も相まって、とてつもなく正しく尊敬すべき存在だったように思います。
折伏デビュー戦の応援
引き継がれてからは本格的に折伏(勧誘)に取り組もうと決意し、勇気を振り絞って正月に帰省中だった中学の頃の大親友との約束を取り付けたのでした。
ファミレスで友人と食事している私、しばらくして上長が到着し、友人には「家族ぐるみでお世話になってる人だから」と説明するもどこかギクシャクした空気でした。
そこでお決まりの「あの話はしたの?」と切り出した上長。
頭上にハテナマークがたくさん乗ってそうな友人に、意を決して功徳(と思っていた)の体験を話すも答えは「ノー」。
「じゃあしょうがないね。ごめんね」で終われば良かったのですが、そこから上長はエスカレート!
最終的には「おまえがやらない(入信しない)んなら、おれは絶対に帰らない」と言い出す始末。結局、根負けした形で友人は入信したのですが、案の定その日のうちに数珠と経本を返してきたのでした。
その時の気持ちは今でも忘れません。
「仏法を伝えられてよかった」よりも「友人に対してとんでもない事をしてしまった。他の友人にもバレたらどうしよう」との後悔の念が強かったですね。
そんな私の気持ちとは裏腹に、上長はハイテンションで「今日は本当、良かったなぁ!友人を救えて良かったじゃないか!」と電話をしてきました。
会員の心よりも何より成果を重んじる態度はその後もずっと変わりませんでしたね。これは顕正会全体にも言える事かもしれません。
しかし当時は「いずれ離れていった人達も、今後日本が大変な事になって顕正会の正しさに気付いて戻ってくるんだ」と信じていましたので、上長のこういった態度もしょうがないのかな?と思っていました。
ですが、その後様々な面で、およそ正しい信心をしているとは思えないような言動を見聞きする事になるのです。
(後編へ続きます)