ニュースを見ていて自然災害の恐ろしさを実感しましたが顕正会員の思考としてはちょっと捉え方が違うのかもしれません。
あの時を思い出すような映像
台風の影響で記録的な大雨が降り続ける中、ついに堤防が決壊し川が氾濫した映像をニュースで見ました。
家の一階部分が完全に浸水し、屋根に登って必死に救助を求めている方の姿を見て胸が締め付けられるような思いがしましたね。
四年前の東日本大震災のあの光景が思い起こされるようです(இдஇ; )
浅井会長お決まりのパターン
今日のような自然災害の猛威を感じるニュースが全国放送された月の総幹部会では、
きっと浅井会長はこう言う事でしょう
「大規模な天変地夭は広宣流布が近い証」
「激しい天災の中に広宣流布は進む」
「折伏を進めるのが国を救う唯一の方法なのである」
活動家顕正会員はこれらを聞いて奮起すると思います
しかし、実際に災害に遭われ、家や大切なものを流されたり、家族を失ったりされた方に対して
「災害に遭ったのは福運がないから、顕正会で信心して福運をつけましょう」とか
心ない事をいうのは逆効果です。
普段、浅井会長の指導こそ絶対と思っている顕正会員にはそこが分からなかったりします。
東日本大震災直後の失敗談
私が現役の頃、東日本大震災の折りに岩手で活動している顕正会員のアパートの自室が
他の部屋と比べて津波の被害が殆ど無いといった体験をされた方の外観写真が組織を通じて送られてきた事がありました。
組織の長は「功徳」としてこれを折伏・指導に活用せよ、という意味合いがあったと思われます。
自分自身も「こりゃすごい功徳だ!」と思い込み、折伏の場にて「これが正しい信心をしている功徳だ!」と言いつつ折伏対象者に見せまくりました(^_^;)
何人か「確かに凄いね」と言ってくれる人はいました。
しかし、ある一人の友人の一言でハッとしました。それは
「他に被害に逢われた人が大勢いるから素直に喜べない」という言葉でした。
これを聞いて、今まで功徳だ功徳だと言って無邪気に喜んでいた自分が恥ずかしくなりました。
本当に慈悲のある団体の一員であれば
災害に見舞われた方の心情を思いやってあげられないものかと常に思います。
仏法の話がまともに入っていかないくらい落ち込んでいる人に対して
無理に折伏をして、結局逆縁でしたというのは
日蓮大聖人の教えとは全く関係のない無慈悲な行動だと思いますよ。
ではまた